大石大神社は、かつて唐津城下町の東端に位置する元石町・水主町の氏神であり、藩政期以来四百年間にわたって地域の守り神(産土神)として信奉を集めた由緒ある神社です。

初代藩主・寺澤志摩守広高は、唐津の地を藩領十二万三千石の中枢にふさわしい拠点とするため、慶長七年(1602)頃に唐津城と城下町の本格的整備に着手しました。

当時、満島山には、今から約千二百年も前の天平勝宝年間(749~754)にまつられたと伝えられる、 熊野権現と英彦山権現の二つの権現社がありました、広高はこれを一社に合祀し新装なった唐津城の南方にあって松浦川にのぞむ景勝地「大石山」の 頂きに遷座したのです。

これが今の大石大神社の発祥とされ、かつて「大石権現様」とも称されていた所以でもあります。

明治維新後も土地の鎮座として存続しましたが、社格が無いまま半世紀以上を経て、地域の請願の結果ようやく昭和五年(1930)十一月二十八日に 村社に昇格となり、正式に「大石大神社」との称号を得て現在に至っています。

著:大石大神社の起源
唐津曳山を研究するための資料
※写真提供:吉冨 寛 2018年8月19日