米屋町曳山「酒呑童子と源頼光の兜」は、古くから伝わる源頼光と大江山の酒呑童子の物語に基づいて造られた曳山です。
頼光に斬られた童子の首が頼光の兜に、無念と怨嗟(えんさ)のものすごい形相で咬みついた瞬間の有様をとらえて表現したのが、この曳山なのです。
斬られた童子の首が宙を飛んで、頼光の星兜の鉢に喰いつき、鋤(すき)型の付け根まで咬みついたということです。
曳山の名称も、単に「源頼光の兜」と呼ぶのではなく、「酒呑童子と源頼光の兜」と呼ぶのが正しいのです。
米屋町が曳山に頼光の兜を選んだ理由としては、斬られた酒呑童子の首か宙を飛んで頼光の兜に咬みついたという言い伝えを具象化したかったことと、第9番の木綿町曳山「武田信玄の兜」と第11番の平野町曳山「上杉謙信の兜」に続いて兜の曳山を造りたかったこと、の2つが考えられます。
血走った眼球と兜に咬みついている白い歯か対照的かつ特徴的であり、子どもたちにいちばん怖がられている兜の曳山です。

著:戸川 鐵
(一部抜粋 「唐津神社の神祭と曳山に関する抄録」より) 唐津曳山を研究するための資料
※写真撮影:鶴丸 誠 2017年11月3日