昔からのお伽噺(とぎばなし)にも緑のある造りなので、子どもたちによく親しまれる曳山です。
完成したのは天保12年で、中町曳山「青獅子」完成から17年の隔たりかあります。
その理由は、資金事情や機運の盛り上がり不足もあったものと思われますが、どのような曳山を造ううかと迷い、諸説が出たのが最大の問題であったと思われます。
刀町と中町が獅子頭なので、今度は何かちがった曳山を造るうと考えたものと思われます。
そして、神輿のお供にふさわしいものをと考え、また他地方のヤマのような同形類似のものでなく、独自の曳山を造るために協議を重ねたものと思われます。
その結果、当時の九州三大祭の一つに数えられていた八代の妙見祭の神輿に供奉している、亀や蛇に着目したものと思われます。
材木町は松浦川の川口に接しており、海にはいちばん近い町です。
「類集名物考」には、鹿島明神が早亀に乗って長門の豊浦に上陸されたと記されているので、同じ明神である唐津神社の神輿の供奉にふさわしい亀を造ったのであろうと思われます。
「亀と浦島太郎」は、粘土型を原型とした一閑張りで、幅が2.6メートル、高さが約5.3メートル、重さ(推定)が2.5トンあります。

著:戸川 鐵
(一部抜粋 「唐津神社の神祭と曳山に関する抄録」より) 唐津曳山を研究するための資料
※写真撮影:鶴丸 誠 2017年11月3日