唐津城下の外町で火消組みに加入している町のうち、水主町たけが曳山をもっていませんでした。
そして、自分たちの町にも曳山か欲しいものだ、という若者たちの声が高まってきました。
そこで「龍王丸」という曳山を造ることにしたのですが、同じ頃に江川町で「七宝丸」という曳山を造るという話が出ているのを聞き、しかもその「七宝丸」の先端が龍の形をしているとのことで、急遽計画を変更して「鯱」の曳山を造ることにしたということなのです。
その「鯱」の曳山は、明治9年に細工人の富野淇淵、塗師の川崎峯治と川崎晴房らによって製作されました。
鯱は火炎除けの魔力をもっているとされており、屋根の上に置かれてきたものです。
水主町の町名が水で始まる町名であるために、火炎とは関係か深いということからも曳山を「鯱」に決めたものとも思われます。

著:戸川 鐵
(一部抜粋 「唐津神社の神祭と曳山に関する抄録」より) 唐津曳山を研究するための資料
※写真撮影:鶴丸 誠 2012年11月3日