魚屋町曳山「鯛」かできた頃の魚屋町は、その名のとおり、魚屋が軒を並べていました。
この町名にちなんで、海の幸として日本人の珍重する鯛を神社にお供えすることに決め、曳山「鯛」を造って神輿に供奉したものと思われます。
ちなみに、鯛の伝説を調べてみると、「延喜式(えんぎしき)(延喜5年(905年)の勅により、宮中の年中行事や儀式などのことを記し、撰進された漢文の書物。全50巻)」には「平魚」と記されていますが、これは「鯛」のことなのです。
肥前地方では「へいけ」、土佐地方では「うだい」、その子を「へらほ」と言いますが、これらはいずれも「平魚」の転語だそうです。
鯛は古くからその名が知られており、海幸彦の釣り針を呑みこんだので口を裂かれたという神話があり、口が大きいのはその名残りだとされています。

著:戸川 鐵
(一部抜粋 「唐津神社の神祭と曳山に関する抄録」より) 唐津曳山を研究するための資料
※写真撮影:鶴丸 誠 2012年11月3日